PANTILLA

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)
 通常は目に触れられないものを見てみたいというのは人間の本能的な欲求ではないでしょうか。視覚的なことに限らず、秘密というものは何かひきつけられるものがあります。どんな批判があろうと、現在までワイドショーがテレビを賑わせているのは、一般庶民がまず知ることができない有名人の私生活の一部を垣間見せているから、ということもあるのでしょう。
 とまあ、愚にもつかない一般論ですが、つまりはパンチラです。大部分の人間はパンツ一丁で街中を歩きません。だから街中で(誰かがはいている)パンツを見ることはめったにないわけですが、何かの拍子に目撃する(しそうになる)ことがあると、心ときめくというか、「いいもの見せてもらった」となるわけです(少なくとも私は)。それに対して、見せパンにはそれほど訴求力はありません。海水浴場でもまたしかりで、日常生活よりも露出度が高いはずなのに、平常心でいられるわけです。そりゃ、まあ心うきだつけどさ。
 パンチラが私たちの心をときめかせる理由として、おパンツそれ自体にというのではなく、パンツが隠れているということに重要な要因があると思います(少なくとも私は)。そう考えると、日本で正規(?)に販売・レンタルされるアダルトビデオというのはかなりエロい気がしてきました。

 そんなことはどうでもいいんですが、上記の本では「白木屋ズロース伝説」の虚偽を論証しています。本の中では少なくとも20世紀中頃まではパンツ(というかズロース)は世間一般から隠されるべきものではなかったとしています(読み違えてなければ)。
 だからあえて言おう。ワカメがはいているのはパンティではなくズロースであると!
 すいません。飛躍してて。